命の重み

長男(大学生)の小学校、中学時代の同級生がバイクの事故で亡くなったという知らせを受けました。

特別親しかったというわけでもありませんが、大勢で集まるときはけっこう顔をあわせていたようですし、一時期は同じ少年野球チームに所属していたこともあって私も親御さんも息子さんも顔見知りです。

長男もショックを受けている様子ですが、人生にはときおり、このような突然の別れがあることをじょじょに受け止めてもいるようです。

それにしても、親御さんの気持ちを思うとやりきれません。
バイクは事故が多く、また事故の状態によっては非常に命にかかわることが多いのも事実でしょう。
だからといって、バイクを禁止していたら事故にあわなかったかというとそれはまた別の問題です。クルマでも交通事故はありますし、たとえバイクにしろクルマにしろ免許を持っていなかったとしても、事故にあわない保証などどこにもありません。
あるいは列車の、歩いている最中に、自然災害も含めて、生きている限りは命の保証などどこにもないのです。

親として、たとえば子供のバイクやクルマを禁止したとしても、もし子供がそこで生涯を楽しむ自分の趣味を取り上げられたことで、鬱々として人生を楽しむことができなかったら、例えば親の理不尽さから親子関係に何らかの齟齬が生じてうまくいかなくなったら、それもまた、命の重みはなくとも、人生の重みとして正しいのかどうかもわかりません。

おぎゃあと産まれた瞬間から、親ならば「健康に育ってほしい」とひたすら願い、大きくなればなったで、「心身ともに健やかであってほしい」と願い、常に子供は親にとって喜びの対象であると同時に不安の種でもあり、時には自分の力でどうしようもないだけに子供の不幸を自分の不幸以上に悔しく、悲しく思うものなのでしょう。

それが運命だったと言えばそうなのでしょうが、割り切れない思いや悔いを抱えて、親は常に子供の側にありつづけるしか方法はないのかもしれませんね。命ははかりしれないほど重いものなのに、時に神様は過酷な運命を投げてきます。いかに簡単に命が儚くなるかと思うと、それだけに生きている人は命を意識していかなければならないと思いました。

ご冥福をお祈りしつつ、いろいろと思い、考えた一日となりました。

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